二択思考が開いたセミリタイアの道

 人生の重要な決断をするときは、あえて両極端な二択で考えてきたように思います。

 「自由」か「自分を押し殺して生きる」かといったように。僕にとってサラリーマンは自分を押し殺して生きる道でした。

 普通は大人になるにつれて社会や会社に馴染み、その環境を受け入れていくものと思います。

 人生には、家族や子供の教育をどうするか、家や車に人並みの暮らし、人付き合いや世間体などあらゆることを考慮する必要があります。

 だから、仕事が辛いと思っていても「自由」か「サラリーマン」か、などという両極端ではなく、折り合いをつけながら生きるのだろうと思います。

 だけど、僕は折り合いを付けられなかった。まるで思春期の中学生のように頑なで不器用なままに。

 根底には、人生は一度きりであって、楽しむためにあるという強い思いがありました。そして、他をすべて捨てる覚悟で「自由」を選びました。

 それは、つかの間の自由や制限された自由では満足できない。たとえ長い時間がかかっても、大きくて広大な自由を得ることを望みました。

 僕たちは、選択的子なし夫婦で、新車を購入したこともなく、家も築古の中古です。あらゆることに節約を徹底してきました。

 そして、両極端の二択を繰り返してきたことで、自分がどうありたいのか、何が大事だと思っているのかが明確となって、節約や貯蓄を続けてこられたのかなと思います。

 二択思考と言えば、自分とは次元が違いますが、郷ひろみさんが昔、「郷ひろみでいたいの?いたくないの?」とか、最近ではローランドさんが「俺か俺以外か」と言っていましたね。

 上記はあくまで一つの考え方、生き方であって、まったく興味がない、参考にならないという人も多いだろうと認識しています。

 それでは。