セミリタイア、FIREを考える人は、意外と少ないんですね。

あと数カ月でセミリタイアする40代男性です。

ブログを始めて1ヶ月ほど経ちました。

他の人のブログをいろいろ読ませていただくなかで、「セミリタイアやFIREを考えている人は意外と少ないんだな」と感じました。

自分の25年にわたるサラリーマン人生でも、職場でセミリタイアやFIREなんて言葉を聞いたことがなかったです。

一方で、「仕事が楽しい」という人を見ることもほとんどありませんでした。

聞こえてくるのは、「定年が延びて65歳まで働くなんてイヤだなぁ」といった言葉ばかりでした。

自分が属した会社や組織がそうであっただけで、世の中にはやりがいを感じている人がたくさんいることは知っています。

それでも、大半の人は働くことがあたりまえだから仕方なく続けているのかなと思います。

教育の成果なのか

僕自身はサラリーマン家庭に生まれ、子どものころから夢なんてなく、何になりたいかと聞かれたときは、「将来はサラリーマンになる」と言ってました、笑。

自分で「ものを考える」ということがなかった。おそらく、あきらめていたのだと思います。

さいころから、レールを与えられ、その上を歩き、走るしか生きる道はない、と。

資本主義社会では、そういう人が育つことが都合いいのでしょう。

大学の授業で、カール・マルクスの『資本論』を教えてくれた教授が、「教育とは、洗脳にほかならない。どうだ?違うと言えるか?」と、生徒に迫っていたことを覚えています。

僕は、一番前の席で、この先生はおもしろいな、と思いながら聞いていました。

レールからはずれる怖さ

敷かれたレールからはずれることには、強い抵抗感があるのだと思います。というよりも、ほとんどの人はレールの存在を考えることすらないのかもしれません。

僕自身は比較的若いころから「自由」を求める気持ちを強く持つようになっていました。

人は本来、自由を求めるものであって、当然周囲も同じだと思っていましたが、就職して職場の人たちを見ていると、どうも「自由」なんて考えていないのではないかと気づきました。

20年近く前に「オーストラリア人は、比較的若いうちに資産を作って、アーリーリタイアすることを目標にしている人が多い」という記事を読んで感化されたものです。

ですが、そういう考え方は日本では「異端」なのですね。

「自由」を手に入れて、好きな仕事をするなり、遊んで暮らすなり、自分で選択することが目指すべき人生の「王道」のように思うのですが、どうも世間では違うのでしょうね。

最後に

さいころに、「将来はサラリーマンになる」と周囲に話していた自分は、いまや40代でセミリタイアをしようとしています。

そして、この先の自分の可能性にワクワクしています。

どこの時点で変わったのか、はわかりませんが、自分の手や足を使って行動し、外の世界を目で見て、心で感じることによって、「レールの上を歩く」ことが、「唯一の道、必ずしも正しい道ではない」と見抜くことができたのかもしれません。

実際に20代後半まで貯蓄をしたことがなく、旅行や人と会ったりすることにすべて使っていました。

気づいてからは、迷いがなくなって、「自由」を得ることだけに集中して、他はすべて手放す、というぐらいの気持ちでやってきました。それで、FIREでいうところの、25年分の生活費を作ることができました。

やっぱり「異端」ですね、笑。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは。