なぜ40代で退職し、セミリタイアするのか?
あと数ヶ月でセミリタイヤ予定の40代男性です。
なぜ退職して、セミリタイアするのかと改めて考えてみました。
不遇な状況ではないのに
今は管理職になっているから職場の若い人たちや同僚も皆尊重してくれるし、上司もよくしてくれている。
時期によっては仕事が忙しくなるけど、今は落ち着いていて、むしろ暇なのがしんどいぐらい。
年収は上がっているし、もう少しつづければ割増退職金も出て、給料と合わせれば大金が入ってくる。
不遇な状況でもないのに辞めるなんて周囲に伝えたら、「なぜ?」と疑問に思われるかもしれません。
実は、今も引き止められていて、続けようと思えばいくらでもできます。
疲弊したから予定より2年早くセミリタイアすると書いてきたけど、今では体調もだいぶ良くなってきている。
それなのになぜ退職するのか?
2年早まりはしたけど、セミリタイアすることは30歳のころから決めていました。
その気持ちはこれまで一度も変わったことはなかった。
結局のところ、自分は、「縛られたり、強制されたりするのが好きでない」のだと思う。
もちろん、ルールには従うし、TPOも守る。
尖ってて人に迷惑かけるといったこともなく、むしろ相手が嫌な思いをしないようにと気を使う方。
だけど、「いつ働き、いつ休むか」といったことや、「決められた範囲の中でだけ考え、行動することが許される」、「人に序列や優劣を付けられたり」ということがどうも好きになれない。
縛られていること、強制されていると意識しない人もいるけど(その方が多いかも)、僕は非常に窮屈に感じる。
イメージ的には、サラリーマンとは、本来いろいろな形をした人を、真四角の箱に一人ひとり詰め込むといったこと。
馴染んで真四角になれれば楽だけど、自分の形を変えられないと、無理やり真四角の箱に押し込められた状態で窮屈で仕方がない。
まさに、形状記憶の自分。
「染まる」というのは、四角でも三角でも自分を馴染ませ、変えられるということなのかな。
長いこと会っていなかった友人に会ったとき、「変わらないなぁ」と言われた。
見た目や経験、知識は変わっても心は変わらない、ということだろう。
今だに「バックパックを背負って海外をあちこち旅したい」なんて思っているところは、20代前半とまったく変わっていない。
周囲が皆同じように、結婚をして、子どもができて、車を買い換え、家を建てる、というのを見ると少し寂しさを感じる。
せめて、心は変わらないでいてほしい。
少年のような、純粋で自由な心を持っていてほしい。勝手な願望ですが。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは。