皆の前で立たされている中年の男を見て、心を痛めた話。
前に新卒で営業職として就職したときのことを書きました。
今回は、その会社でサラリーマンの宿命、悲哀を感じたときのことを書きます。
バリバリの営業会社でした。
営業マンは皆、ストレスを抱えているように感じました。
在席したのはわずか1年の間でしたが、いろいろな話を見聞きしました。
たまに怒鳴り声が聞こえたり、体重が20kg増えたとか、家庭を顧みれず子どもが家出したとか。
大きなショックを受けたことがありました。
成績の振るわないチームの管理職が強面の上司から、バン!っとホワイトボードを叩かれ、「そこに立っとけっ!」と怒鳴られ、皆の前で立たされていたのです。
まるで小学生が廊下で立たされるようにです。
中年の管理職の男が、しかも会社に人生を捧げてきたであろう男が、自分の部下の前で、そして総勢50人の営業マンを前にして立たされているのです。
そのとき僕は、「俺たちは、はたして人間なのか」、と感じていました。
その光景に僕は、長いこと心を苦しめられました。
自分は『柵の中の羊』だと考えていたのは、この経験があったからかもしれません。
いろいろな経験をした今では、多少の耐性がついて、あのときの光景を目にしてもあまり気にならないかもしれません。
しかし、自分にとってはサラリーマンという構造が持つ本質は何も変わってはいないのです。
当然ですが、人は「人間の道」を歩まなければなりません。そして、「自分の道」を歩み、幸福を目指さなければならないと考えています。
退職して営業職時代の同期と出会って
就職してから1年で退職した僕は、そこから1年半ほど勉強して公務員の試験に合格しました。
そして、仕事が始まるまでの4ヶ月間を東南アジア放浪の旅に出ることにしました。 ビザを取るために前の勤務先近くを通ったとき、偶然、営業職時代に少し仲の良かった同期に出会いました。
同期はまだ、成績の棒グラフと日々格闘しているのです。
辛そうでした。
話を聞きたいというので、喫茶店に入り、公務員に採用されたこと、これからアジアを回る一人旅に出ることを話しました。
同期は、浮かない表情のまま、「いいなぁ、羨ましいぁ」、としきりに言い、前にも後ろにも進めないということを言いました。
それは心の奥からの「叫び」のように聞こえて、僕には返す言葉がありませんでした。
転職すればいいなんて安易なことは言えませんし、辛くてイヤなら行動を起こすべきだ、とも言えませんでした。
最後はお互い口数少なくなって別れたことを覚えています。
あのときの同期は今どうしてるのだろうか。
もしかして、部下の前で、大勢の営業マンの前でみせしめのために立たされてやしないだろうか。
あのとき、言うべきだったのかもしれません。
「自分の人生を生きなければならない」と、はっきりと、そう言うべきだったのかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは。