ゴールデンウイーク明けの経験したことがないほどの辛さ。

来月にセミリタイアする40代男性です。

もうすぐゴールデンウィークだな、とカレンダーを見ていたときに、ふと1年前のことを思いだしました。

1年前のゴールデンウィーク明けの仕事は、人生のなかで経験したことがないような辛さを感じました。

身体が明らかな疲弊をしだしてからすでに9ヶ月ほど経っていた頃でした。

特に何かがあったわけではないのに、休みでリフレッシュしたはずなのに、ただただ苦しく、一日どころか、一瞬一瞬を乗り切るのが精一杯だったように思います。

それがしばらくつづいて、限界だな、となんども考えながら、少し回復し、またしんどくなるという繰り返しに日々耐えて、こうして1年後の今までつづけてきました。

人はやはり辛いときに、いろいろなことを考え、気づくのかと思います。意識の深いところまで降りて行って「何か」を見るのではないかと。

人の苦しさや、人生の時間の価値を身にしみてわかるようになるし、幸福とは何かということの理解も深まったように思う。

その経験がなければ、深くは理解しないまま、先の人生を生きていたかもしれない。

そう考えると、疲弊した身体がこの先、完全に戻るかはわからないけど、それと引き換えに簡単には手に入らない貴重な気づきを得られたのかなと感じている。

もう幸せを感じるために、お酒も映画も高級な食事も新しいスマホも高い車も家も必要としない(たまには楽しみますけどね)。

昔は、お酒を年360日ほど飲んでいたし、ラーメンを週に何度も食べたり、ブランドの服を買い、スポーツカーや新築の家にあこがれていたこともあった。

「何かいいことがないかな」、と職場の同僚と話しをすることがよくあった。

「いいこと」がないと、幸せではなかったのだし、苦しかったのだと思う。

今は違う。

ただ時間が流れている、何もない、そのことに幸せを感じる。

それは、禅の「無」の境地に近づいているのだろうか。

禅は「いらないものを捨てていく作業」だと言われます。

「何かを得るためでなく、捨てるために」座禅を行うのだと。

話は逆転しますが、僕はセミリタイアをして、相場で生計を立て、資産を拡大しようとしています。

捨てていくこと、と同時にそこから何かを得ようと考えています。

仏教や禅の考えと、相場やトレードが相容れるのかわかりませんが、自分の人生を使って、試してみようと思います。

さあ、いよいよGWですね。

職場での大きな組織変更の影響なのか、今週に入ってから身体がしんどくなってきました。

今年のGW明けはどうなるのかと少し心配をしています。

残り1ヶ月なんですけどね、笑。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは。